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2011年01月 アーカイブ

日本政府の迷い

統制諸法令違反として取り締まりを受けた者の数は、たとえば昭和13年7月から14年10月までの間だけでも全国で225万人にのぼり、これは当時の内地人口の3パーセントをこえていました。


このように矛盾に満ち、また国民に不信を抱かせた経済統制は、終戦後、政策立案者たちに深刻な反省を強いるものとなりました。


行政官庁には、もうニ度と統制は御免だ、という空気が広がっていました。


それに加えて、統制は占領軍の推進する「民主化」に逆行するものだという考え方も根強かったのです。


終戦直後、政府には、再び経済統制にもどる意志はなく、食糧不足のさなか、昭和20年秋には一時、魚や野菜の統制を撤廃するなどしました。


しかし、その結果はどうだったでしょう。


・・・食糧不足はますます深刻化し、インフレもさらにエスカレートしました。


戦争の痛手はあまりにも大きく、日本経済が落ち込んだ谷は、自力ではい上がるには深すぎたのです。


こうして政府が終戦からほぼ1年間、統制による復興策をとることをためらったことは全く裏目に出、日本経済の混迷を一層助長することになってしまいました。


昭和21年2月の通貨改革を含む経済危機緊急対策が十分な効果を上げなかったことは、日本経済の危機がなみたいていのものではないことを政府に認識させました。


そしてついに昭和21年8月、のちに「泣く子も黙る安本」といわれた強力な統制機関、経済安定本部が設立されました。


統制経済という、西ドイツの市場経済とは正反対の道がここに選択されたのです。

つけられた優先順位

経済安定本部は、現在の経済企画庁の前身に当たるものです。


しかし、単に経済政策の企画立案や役所間の調整というだけでなく、公共事業の編成や法令違反の摘発などの権限を持ち、今の経済企画庁とは比較にならぬ強力な官庁でした。


その下には実に15もの公団が相次いで設けられ、経済安定本部の補助機関として統制の実施に当たっていました。


15の公団とは、配給公団として、石油・配炭・肥料・食糧・食料品・飼料・油脂砂糖・酒類の8公団。


施設公団として、産業復興・船舶の2公団、貿易公団として、鉱工品・繊維・食糧・原材料の4公団。


・・・それに価格調整公団です。


経済安定本部を中心に実施された経済統制は、物資の割り当てないし配給制度、公定価格の設定、金融機関の融資規制、輸出入の国家管理と、幅広い分野に及びました。


そしてこれらの統制の中から、1つの際立った政策が浮かび上がってきました。


それは「国のためになる特定の産業に、集中的、重点的に国家の保護、優遇策を与える」というものです。


この場合、「特定の産業」とは、石炭と鉄鋼でした。


当時、日本の工業生産がなかなか拡大しない最大の原因は石炭の不足であると考えられていたのです。

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