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2010年12月 アーカイブ

「貿易の自由化」

貿易の自由化のもう1つの重要な側面は、「敗戦国」西ドイツが国際社会に復帰するきっかけとなったことでした。


イギリスやフランスをはじめとする西ヨーロッパ諸国を中心市場とする西ドイツにとって、これらの国々との協調なしに自国の経済発展はあり得ないことを西ドイツは強く意識。


1956年までに、西ヨーロッパ諸国に対する輸入自由化を100パーセント達成しました。


貿易の自由化と前後して、西ドイツは数多くの通商協定を自主的に締結し、周囲の西ヨーロッパ諸国との経済面での協調を図っていきました。


こうした中、1950年に創設されたEPU(欧州支払同盟)に参加を許されたことは、西ドイツの経済発展に、これもプラスに作用しました。


ドル融資に等しい機能をもつこの機関に参加できたことで、ドル不足を恐れずに輸入の自由化を貫くことができたのです。


EPU加盟直後、1951年2月の西ドイツの借入金は4億8000万ドルにのぼりました。


ところが、輸出が伸びた2年後の1953年4月には、逆に4億8000万ドルの債権を保有するに至っています。


このように市場経済政策の導入がもたらした西ドイツ経済への影響はよいことずくめでした。


もちろん西ドイツといえども市場経済の原則を完全に貫いたというわけではありません。


たとえば1950年からの朝鮮戦争の影響で商品価格が高騰し、石炭などの工業原料が不足し、貿易収支も悪化した時には、原料の割り当て制や、輸入規制といった経済統制がとられたこともありました。


しかし事態が好転すると統制は直ちに撤廃されました。

ふたたびの統制へ

こうして戦後復興期に確立された西ドイツの市場経済原則は、その後も徹底して続きました。


今日それは多少の修正を加えられながら、20世紀前半までの資本主義経済秩序とも、社会主義諸国のきびしい国家管理経済とも異なるものでした。


社会正義の限りにおいて保証された経済的自由という意味で、「社会的市場経済」と呼ばれています。


経済復興策を選択した西ドイツが市場経済の原則のもと、さまざまな経済の自由化を推し進めていた頃・・・


日本は全く対照的な道を歩み始めていました。


つまり、国家による強力な統制のもとでの経済復興策を選択したのです。


これより先、昭和12年に日中戦争が始まってから太平洋戦争終戦までの戦時の日本経済は、空前の統制下にありました。


「臨時資金調整法」「輸出入品等臨時措置法」「軍需工業動員法の適用に関する法律」「工業事業場管理令」「国家総動員法」「電力管理法」・・・


その他さまざまの価格統制、配給統制、使用制限を定めた法令が出され、「カラスの鳴かない日はあっても、統制法規の出されない日はない」と言われるほど、カネとモノの動きを国家が直接統制する体制が敷かれていました。


「統制は統制を呼ぶ」といわれるように、統制は、それをくぐりぬけてひともうけしようという業者たちとのイタチごっこを生み、ますます強力に、そして広範囲に広がっていきました。

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