「貿易の自由化」
貿易の自由化のもう1つの重要な側面は、「敗戦国」西ドイツが国際社会に復帰するきっかけとなったことでした。
イギリスやフランスをはじめとする西ヨーロッパ諸国を中心市場とする西ドイツにとって、これらの国々との協調なしに自国の経済発展はあり得ないことを西ドイツは強く意識。
1956年までに、西ヨーロッパ諸国に対する輸入自由化を100パーセント達成しました。
貿易の自由化と前後して、西ドイツは数多くの通商協定を自主的に締結し、周囲の西ヨーロッパ諸国との経済面での協調を図っていきました。
こうした中、1950年に創設されたEPU(欧州支払同盟)に参加を許されたことは、西ドイツの経済発展に、これもプラスに作用しました。
ドル融資に等しい機能をもつこの機関に参加できたことで、ドル不足を恐れずに輸入の自由化を貫くことができたのです。
EPU加盟直後、1951年2月の西ドイツの借入金は4億8000万ドルにのぼりました。
ところが、輸出が伸びた2年後の1953年4月には、逆に4億8000万ドルの債権を保有するに至っています。
このように市場経済政策の導入がもたらした西ドイツ経済への影響はよいことずくめでした。
もちろん西ドイツといえども市場経済の原則を完全に貫いたというわけではありません。
たとえば1950年からの朝鮮戦争の影響で商品価格が高騰し、石炭などの工業原料が不足し、貿易収支も悪化した時には、原料の割り当て制や、輸入規制といった経済統制がとられたこともありました。
しかし事態が好転すると統制は直ちに撤廃されました。