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2010年11月 アーカイブ

ドイツの挑戦 3

輸入の自由化は、復興を始めたばかりの西ドイツの国内産業にとってかなり厳しい事態を引き起こすことが予想されました。


しかし、エアハルトはそれに対し特別の保護政策を取ることはせず、各企業の合理化の努力に委ねました。


そうすることが結局は企業の競争力を強化することにつながるという考え方によったのです。


マーシャル・プランの援助が始まる一方で、通貨改革が成功し、市場経済原則が導入された1948年という年は、正に西ドイツ経済の爆発的成長の始まりの年となりました。


戦前の1936年を100としたときの鉱工業生産指数は1948年の54から、1953年には150と3倍に上昇しました。


わずか5年という短い期間内にこのような急激な経済発展を遂げた例はかつてなく、まわりの国から「奇跡の復興」と驚きの目で迎えられました。


生産・消費・物価・所得・雇用……あらゆる経済指標がことごとく好転しました。


一体なぜ、すべてがこうもうまくいったのでしょうか。


それは経済学者でも十分に説明できないことであるようです。


とりあえずよく語られているのは、通貨改革が断行され、市場経済原則が導入された1948年という時点で、西ドイツには、差し当たり十分な生産能力と購売力の殺到に応じうる在庫、マーシャル・プランの援助による原材料輸入増加の見通し・・・。


そして、消費者の消費意欲、企業家の投資意欲など、経済成長のための条件がすべてそろっていたという説明です。

西ドイツの経済発展の原点

西ドイツの広範で徹底した市場経済政策の中で、その後の西ドイツ経済に最も重要な影響を及ぼしたのは貿易の自由化でした。


自由貿易とは、言い方を変えれば、輸出をどんどん増やすことに努めますが、だからといって輸入を制限するような事はせず、自国の市場も外国に開放しましょうということです。


しかしエアハルトの基本的な考え方は、「輸入を増やして相手国を豊かにし、購売力をつけさせることがやがて輸出の増加につながる」というもの。


現実に西ドイツの輸出額は、1948年から1952年の間に実に7倍に増えました。


もちろん輸入の自由化は当初西ドイツに入超(輸入超過)をもたらし、エアハルトは議会で激しい非難を浴びましたが、1951年からは黒字基調に転じ、エアハルトの理論の正しさが立証された形になりました。


輸入の自由化によって原料が豊富に供給されるようになって、西ドイツの工業生産の伸びは、さらに加速することになりました。


当初は国内市場が旺盛な購売力を持っていたこともあって輸出はそれほど増えなかったのですが、1951年ごろから消費財の輸出が急ピッチで伸びることになります。


中でも西ドイツの機械製品、とくに工作機械、圧力延鋼材、電気・光学製品、精密機械の優秀さはこの頃から早くも世界市場を制圧しはじめました。


これはやがて昭和40年代以降、日本製品によって取って代わられるまで続いていきます。

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