ロックンロールの名付け親 12
1954年、時代の流れを感じ取りロックンロール・ステーションへと生まれ変わったニューヨークのWINS局は、フリードをメインのDJとして迎え入れました。
WINSは数カ月のうちに全米でトップのAM局へとのしあがります。
しわがれた声。猛烈な早口。
ただ最新のR&Bヒットをかけるだけでなく、放送中にゴルフの手袋をして手元の電話帳をドンドン叩きながらリズムをとったり、カウベルを鳴らしたり、一緒に歌ったり。
フリードはそんな独自の荒々しいスタイルを駆使しつつ、それまではあくまでも傍流でしかなかったR&B系の音楽を時代のメインストリームへと送り込んだのでした。
このとき、白人DJと黒人ミュージシャンとがはじめて躍動的に合体したと言えます。石塚孝一氏によると、R&Bアーティストと強く連帯することでフリードは強力なラジオ番組を制作することができたし、一方アーティストの側はフリードの意見を仰ぐことでより有名になり、50年代を通じてロックンロールは多くの金を集めることが出来るようになりました。