日本の農業を考える


日本では農水産物の残存輸入制限品目は43年に73品目もありましたが、逐次自由化していき、最終的には22品目まで減らしています。


・・・しかし残された牛肉、オレンジ、果汁などの22品目は、これが自由化されたら日本農業は填滅的打撃を受けるでしょう。


もし、ここで牛肉、オレンジを白由化したら、米国が次に迫ってくるのはコメに間違いありません。


コメに火がついた農村はパニックになります。


・・・したがって、牛肉、オレンジはコメというモ様を守っている金、銀のようなものです。


つまり、牛肉、オレンジの自由化は、この両品目が打撃を受けるだけでなく、国家貿易品目のコメ、小麦、バターなどの自由化に波及しかねないのです。

スポーツの起源 3

・年代的-特定時代の研究


・地理的-限定された空間領域での研究


・政治的-身体教育システムと政治の影響


・文化的-実践行為の機能


・制度的-組織・機構の影響


・生物学的-人間の役割


・・・たしかに、これらの分野は現在まできわめてばらばらに研究されてきたにすぎません。


スポーツ実践を示すもっとも明確な考古学的遺物は、シュメール文明の時代(紀元前3000~1500年)にまで遡ります。


闘技者(レスラー)や拳闘者(ボクサー)を描いた粘土板がそれです。


この身体活動の痕跡は、エジプト文明に入ってはっきりしたものとなります。


そこではとくにレスリングやボクシング、乗馬、弓射などが営まれていました。


カルデア人やアッシリア人、メディア人、ペルシア人たちの間では、ミノア時代のクレタ島同様、さまざまな身体ゲームが行なわれていました。


数多くの浅浮き彫りがそれを証明しています。

十二の星座

占星術では、太陽の通り道(黄道)にそって十二の星座(おひつじ座・おうし座・ふたご座・かに座・しし座・おとめ座・てんびん座・さそり座・いて座・やぎ座・みずがめ座・うお座)を設定します。

各星座には、ギリシャ神話と結びついた特別の意味が与えられています。

たとえば、おひつじ座は、「.十ばつにおそわれた国土を救うためにいけにえにされかかったプリクソスとヘレーを、金色の毛の羊が背にのせて救出するLというギリシャ神話にもとついていますが、羊は勇気をもって行動したのはいいが、あまり速く天にかけ昇ったために、ヘレーが落ちたのも気づかぬ独りよがりな面もあったため、おひつじ座の「ことばの鍵」は、「積極的・攻撃的・独断的・自己中心的」などとなります。

他の星座についても、同様です。

それぞれの星座には、図に示されているように、「守護星」が決められており、それにも意味が付されています。

また、占星術では、星座とはべつに、図を機械的に十二等分して十二の「室」を設けます。

「室」は図のような意味をもち、それぞれの「室」にどの惑星がはいっているかも占いの材料になります。

このほか、運命を決める十個の星が何度の角をなしているかも「吉凶」を占う参考にされるなど、占星術はなかなか複雑です。

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スポーツの起源 2

とくに競技は、生者の世界から死者の世界への移行時に行なわれています。


ペリアス〔イオルコス島の伝説王で、ポセイドンの息子。神託によってイアソンが自分の王位を脅かす者と信じ、彼にコルキスから金羊毛を持ち返ることを命じる〕やアザン〔アルカディア人の祖先とされるアルカスと木の精エラトとの息子〕・・・


そして、オイディプス、アマリュンケウス〔『イーリアス』に登場するメッセネ王。ピュロス人の王ネストールに殺される〕のために、さまざまな葬送ゲームが組織されました。


その中でもっとも有名なのは、イーリアスとオデュッセウスの葬送ゲームです。


そこでは、服喪を指導した者が、組織者であり、審判であり、賞品提供者でした。


しかし、最初期のスポーツ実践を年代順に正確に位置づけるのは難しいものです。


それには、デニーズ・パーマーやマクスウェル・ホーウェルが書いているように、学際的な研究と、とりわけ《古代史や考古学、美術史、古典学、人類学、社会学などに対する》多種多様な知識・・・


《さらに、スポーツと遊びの性格に関する鮮明な理解》が必要とされるからです。


こうして彼らは、なしうる主たる研究が次のように分類されるべきだとも付け加えているのです。


スポーツの起源

事象としてのスポーツの永続性を主張する説・・・


この枠内でいえば、この事象は人類史の黎明期から現われていたといえます。


これは考古学がつとに立証しているところで、土器やフレスコ、彫刻、石製印章などは、身体的ゲームがあったことを裏付けています。


さまざまな理論も、スポーツの起源を説き明かそうとしています。


D・サンソンによれば、その起源は、人間が狩猟者であった先史時代における、人間エネルギーの儀礼的供犠のうちに位置づけられるといいます。


一方、ルドルフ・ブラシュは宗教的実践がスポーツの始まりだとしています。


《スポーツは目に見える敵や不可視の敵を打ち倒し、自然の諸力を支配しようとした、人間の欲望の中から生まれた》。


これに対し、ベルナール・ジュは競技が異教の儀式に属していたとします。


・・・いわばそれは、社会生活にとっての重要な節目を際立たせる儀礼だったといいます。

国際社会の一員 4

国際機構の中でももっとも中心に位置し、国際関係の中で重要な役割を担うことが予定されている国際連合について・・・


そして、政治面と安全保障面に限定して、国連憲章で定められている機能とその実際とを考えたいと思います。


総会、安保理そして事務総長がそれぞれどのような役割を果たしてきたかということを、その問題点とともに整理したいと思います。


・・・この作業を行うことによって、今後の国際社会で国連の機能を強化していくことがどのような意味を持つのか、また、そのためにはどういう問題を考えることが必要なのか、ということを明らかにすることができるでしょう。


次に、とくに国連の平和維持活動(PKO)を取り上げたいと思います。


その理由の一つには、近年日本内外で国連の機能強化というときに、このPKO問題に強い関心が寄せられるという事実があります。


しかし、国内の議論が正確なPKOに関する理解に基づいて行われているとは思えません。


むしろ、「結論先にありき」で、ありていにいえば、自衛隊の海外派兵を合法化するためにPKOが都合よく利用されている感じが否めません。

国際社会の一員 3

それでは、以上の3つの問題点を明らかにするための私自身の取り組み方を、かいつまんで紹介しておきたいと思います。


まずは国際機構の歴史的な形成過程を扱います。


・・・正直に申し上げますが、私はこの分野の専門家ではありません。


したがってこのブログでは、これまでの内外の研究の成果で、私の以上の問題意識からみて重要と思われる歴史的な事実関係を紹介することが中心になります。


・・・つまり、国際機構の形成の歴史を概観し、その国際政治、国際関係に占めてきた地位を確認することが眼目になります。


また、日本人が国際機構について正確な認識を持ち得ないでいる原因を明らかにするために、東アジア世界の歴史とその中で養われてきた日本の国際感覚の基本的性格についても、これまでの研究成果を踏まえる形で押さえておきたいと考えます。


この作業は、今後の議論を進める上で、土台ともなるものです。

国際社会の一員 2

確かに、国連の直接の前身である国際連盟は、日本が国際社会の大国として頭角をあらわしてからつくられました。


日本は連盟の常任理事国として有力な一員でもあったのです。


しかし、連盟自身・・・


具体的には総会、理事会、事務局という主な組織からなる機構自体、これに先行する国際機構の歴史の成果を踏まえてつくられたものでした。


ところが、当時の日本がこのような歴史的背景を持つ国際機構の意義について正しく理解し、その理解に基づいて行動した形跡はありません。


要するに私たち日本人にとって、国際機構という存在は、疎遠なものでしかなかったのです。


だからこそ、国際機構が現実の国際政治、国際関係の中でどのような役割を果たすことができるのか、また、大国の意向によってどのように翻弄されることがあるのかといった問題についても、私たちは正確な理解を持たないままで来たのです。


そうであればこそ、戦後の日本国内では、一方で国連を極端に美化し、これを全能であるかのように考える人々がいましたが・・・


他方ではしょせんは飾り(あるいは空騒ぎの場所)にしか過ぎないという極めて醒めた見方をする人々もいたのです。


国際社会の一員

日本が西欧に起源を持つ国際社会の一員になったのは、明治維新以来のことです。


日本が一員になったときまでには、国際機構は既に、多くの国家がひしめき合う欧州の国際関係の中で、その必要性が認められるようになっていました。


・・・しかし、国際社会から地理的に隔絶していた当時の日本は、多数の国家の間で起こる問題について考えるというような状況にはありませんでした。


そのため、このような問題を取り扱う国際機構の必要性についても、真剣に考えることがなかったのです。


しかもその日本は、伝統的に東アジア世界に属し、西欧国際社会とは全く異なる政治的雰囲気の中で国際感覚を身につけてきました。


その感覚は、およそ西欧国際社会の中では通用しない代物でした。


しかし、あとで詳しく触れますが、明治維新以来今日に至るまで、日本そして私たち日本人の多くが、どれほどこの古い感覚を自覚し、清算したかについては、私ははなはだ疑問を持っています。

会社のために何が出来るか 4

彼の顔は青ざめています。


全員で計算しなおしてみました。


やはり利益が足りません。


調べていくと、外注加工費が利益を大きく圧迫していることがわかりました。


同時に、新作戦の目標である「内製能力1.5倍」に見合った計画になっていないこともわかりました。


売り上げ、利益の修正が不可避となってしまったのです。


それを修正するには、工場長のいる2CPに戻らねばなりません。


今度は、その修正理由を明確にしておきます。


やっとのことで、売り上げは前年の1.5倍、利益は2倍強となったので、2CPまで戻りました。


この時彼らは、経営者はこんなことをくり返しやっているのだなあと話し合いながら、経営のむずかしさや苦労、全員参加の重要さを実感したといいます。


こうして、6つの全チームがゴールして、6冊の1981年度経営計画書が完成しました。


・・・そのいずれもに、企画課が想定していたものよりも高い、意欲的な目標値の"旗"が立てられていました。